此院を立て秋山迄ハ村里なし 暫往て 清津川の
東の方の山の尾崎にかゝる 此辺りまた見玉の持分に
して 古木道路ニ生ひ茂り 或山の中段や 又ハ平ラを
焼払ひ畑となし 粟・稗・大豆・椽のもの耕作し 弓手ニハ
幾重ともなき山重なり 西の山の尾崎に 秋山村々
の入口下結東村見へ 其中央を清津の谷川涓々と
流れ 又 両岸の大磐石突出し 或千巌万木往処と
して屏風を開くか如く 目枯せぬ詠に 丹梯の嶮も
是か為ニ忘れ やゝ秋山の入口清水川原となん村近
く いよいよ老樹枝を交へ 白日の光を覆ひ 少し小高き
処へ登りけるか 七五三縄張りて 其真中にいさゝか
なる高札あり 読みて見れハ ほうそうあるむらかたの
もの これよりうちいかならすいるへからすと 仮字ニ童蒙
の筆らしく書て建たり 暫く休らへて桶屋ニ評して
日 何れ秋山人ハ正直一遍の所なるへし 仮*里人疱
瘡ある村ニても 商人・薬売なとハ此方の村ニハ疱瘡は
ないと唱へて入へきに 扨て可笑事ならすや 是より間
もなく 秋山一番の入口 清水川と云ふ村ニ至りぬ 

秋山口張七五三 岸如屏風中津南
此処仮字読高札 疱瘡村総忌女男

此処家ヲ算れハ纔ニ白屋二軒 壁と云ふものなく 
茅をもて 四方柱壱本も 二軒なから見えす 荷そひ
桶屋か入魂なる定助と云ふ家路さして行 傍ニ
青黒き真石の 大なる一ッ岩の凹より落る瀧ハ 格別
高きと云ふにはあらねとも *光景いもいわれす 頓て
その家へ休らふに 幸ひ 主も草鞋かけにて居合せ 
果而先つ疱瘡の事を問ふに 去春以来 上田も 
取はけ塩沢にもないと云ふに 主か云ふ うらは今としは
井戸蛙のやうに里へハ一度も出なんたと答ふ 秋山人
ハ夷同様ニ思ひしか 其人柄格別里人ニ替る事なし 
さりなから 其妻半斤はかりも入りし茶袋を出して 
鍋欠の耳の処を持て俄ニ茶を煎り 大なる白木
の垢附たる盃に 茶椀二ッ並へて出しけるに 其妻
茶筌にて大なる茶椀に茶を立てるを 予もそれ一つ
と乞ひけるに 先つ一盃ハ立てす呑なさいと云ふ手ニ取る
時 地走らしく一盃ニ汲んたるを 手震ひこほれて堪へ
かたく 

指先きににえ茶こほれて忍かね
  腹に立てとは是を云ふらん

又 此家の内壁を見るに 横に三尺位づゝ隔て 細木の
はつ*を柱ニ入て 葦簀を竪に結附 外面ハ図の如
ク茅にて柱壱本も見へす とびとびニ窓も甚出(?)し
数もなし 仏壇と見へ 縄を以て板を釣り下け 古き
仏画の掛軸一・二幅かけ 太神宮の御祓・恵比寿・戸
隠の札も張り見へたり 

丹梯漸過二軒村 此地云清水川原
環堵立寄乞*茗 俄焚巨火炉辺温

折々秋山の惣村の 四・五十年以前迄ハ皆堀立家ニて 
剰柱ニ貫穴杯もなく 又ある木の先きに丸木の桁を
渡し 樌は細木の縄にて結附くるも 尭代・舜世の聖代
二百年余打続 かゝる深山の奥迄も鬼住*栖もなく
人の世となり 自然に村里の風俗行届きて 近頃
新らしき家ハ大小に限らす地幅を据へ 昔の俤の
茅壁残るそ面白し 鳴呼 今二十年 乃至五十年
も過なは 壁ハ扨置 茶煎*も銅器を用ゆべしと嘆息
頻に催し 色々主に問ふに 此処より都て大赤沢迄ハ 
たいてい稗高・菩提所のちまりも近頃にて 上妻有
大平ラ村善福寺なれとも 引導様の事ハ 冬春ハ
深雪の山路難処故 寺へハ無沙汰 此処纔に二軒と
云と支配ハ 結東九ヶ村の内にて 川西ハ三倉迄上妻有
秋成村久左衛門 又 大赤沢・中の里ハ深見村久四郎の
支配にて 小赤沢・上の原・和山・屋敷の村々ハ信州高井郡
箕作り村嶋田左衛門とやら暫の噺ニ屋上を見れハ 山菅
の長きを沢山さうに揚けて見へ 門口ニハ三・四斗も這入
桶ニ杤の実を水にさわし 家の前後ニハ粟・稗やうのもの
干並へたり

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