また 湯本ハ西にて 遙に秋山ハ留めなれハ 途急い
て往程に 村家の辺のみ 例ニ山畑広く或ハ茫々
たる茅野の中に 朽木の大樹独立する如く亭々と
として 帆柱立ちたる風情もあり 亦ハ朦朧たる大樹原
も過行 やゝ和山と云ふ 纔々に五・六軒の家も抹疎に営
みて それさへ二軒と並んたる隣もない いと淋しき  晩秋
の落葉ちまた(街)に散り敷 秋風笠の端を吹揚けて 
峯伝ふ猿に 腸を断はかりなる 物わひしき孤村ニ
往労れて 通りかゝりの草の屋ニ立寄り中食せんと 
折柄午時と見へ みそち斗りの中年の女と はた
ちはかりの女二たり 大なる炉の 稗餅やらん 漬菜
を椀の蓋に盛り 両足を炉にさし込み喰居た
るに 亦 六十余りの老人 山畑挊して昼上りと見
へ 洗足もせす 横座に平座し 同しく焼餅を喰 
傍に 桶屋ハ けふはなせ蕪雑水せぬと問ふに 適々
の日和にて刈ものが世話しいから 今朝こしらいたる
焼餅きりと云ふ 其大きさ我*杯か家ニて餡焼餅
の四ツ位も合した大きなるを 真二ツニして喰ふ躰 
鬼女の如く 我等ハ焼飯を焚火にて 木火箸取っ
て火掻よせ 温め 其内に出流れの茶を湧かして 
大きなる 下品の 垢付たる茶碗に 煤け色の茶を
出し呉ぬ 一口味ふに 木皮ても煎し出したる如く 
一口も咽へ通らす 吐くも笑止に 漸々 ひと口切にて 此程は
長途に茗を呑と疝気に障ると偽りて 俄ニ白湯を湧
させ 焼飯を右の茶碗ニ湯漬にして 打違ひより 粟毛
の菜に腹用意し 家内を予窺見るに 此三十斗りの
婦ハ 老人の噺の内ニ兄ハ畑より帰らぬとあれハ 其妻な
らん 自た落の往居に 幽霊の如き乱れ髪からけて
結ひ揚たはかりに 衣類ハ衽も長けも短かく 腕
も見へ脛も見ゆる斗りなる 破れたるを着ると云とも 
其容勝れ 鼻程能く高く 目細う 蛾ニ似たる黛 
顔ハ些日黒むと見ゆれとも 鉄水附ぬ歯は雪よりも
白く 若人ハ一目ニ春心も動かす風情 宛泥中の蓮の
如く 雨ニ綻芍薬の風情ニ似たり 剰つ 言葉も里振り 
鄙めくと云とも 秋山の言葉ひとつもなく かゝる深山
幽谷を像り 乕・狼・野干の栖とも見ゆる薦垂の内に
育なから 尋常ならぬハ豈労敷からんや 是も亦蓼好く
虫とやいはむ 

秋山の美人ハ蓼のさとう漬
甘いやうてもいか辛へなり
玉貌蛾眉勝盡図   唯惨鶉衣鬢髪踈
遮莫秋山随一美   総黌王母白雲廬
 其二
綻破衣裳雖纒躬 天然娟貌漫和融
無為此澗第一美   虎狼野牛在山中
 其三
茲有美人髪** 歌麿錦絵訦山婆
倩見弁天似薦薀 希漬砂糖纒綾羅

又 一人の少婦は肥太り 種瓢のことき足を炉中へ投
出し 是も亦鶉の衣に おとろの髪油も附けす 赤
黒き苧縄にて結ひ 木櫛一枝差たと云とも 平
家の落人ならハ 是や鳥坂山落城の 彼樊額女
か血脉の果かして 鼻筋低く頬高く 此評ハ
略して具ニ記さす 扨も此家の老人に此村の往昔を
問ふに 平家の落人の栖となす河向への大秋山は 卯の
凶年に飢死 八軒共ニ断絶して 跡方もなきと云
とも 此大秋山と己か村ハ 惣秋山の根本にて 昔ハ此
村二十二軒 又 此村端れの高いうへの臺にも家二
十一軒ありて 大村なれとも 四十六年以前迄ハ中絶
して 今てハ纔に五軒切りたと云ふ 兎や角噺の内ニ 
此村の者一人来たり ハア山へ行と誘引様子 荷掛
棒を携て 背中に猪の皮を着たるハ 腰懸たばこ
吸ふに 此村の氏を問ふに 皆山田と答ふ 此家の老人
ハ 己 山田の惣本家にて 山田彦八と云ふて 此五軒
の村の惣本家 昔の二十軒余ハ家持たと云ふ 

少婦景迹頗似鶉  宛如襁褓着褥茵
親爺山田申彦八  先祖平家唱落人
由緒系図皆返古  分家九族多没泯
裏中雖無金銭饐  粟稗沢山不知貧

又問ふ 此地は年中食物は 何か沢山に用ひ*やと聞
に 杤を飯にしたり 稀ニ餅ニも杤を槝と云なから 若
い男に向い貴様ハ先へ行と云ふ 又 若い男 一ツにと
云ふを 直に行もうと予か適々訪たるを 深切ニ相手ニ
なって残り居る 又問ふ 此村端 中津川の辺りに温泉
ありと尋るに 此処を四・五十丁も隔て 川端の大樹原
の中ニあり 土を掘りて四方に木を畳んた斗り 小屋
もなく 湯ハ澄んて暑いと云ふも 湯本迄遅からんと 
此温泉見ぬ事本意なく 又 中年の婦ニ問ふ 
御老人のまた兄ハ帰らぬと云 其内室か 何れの
村より娵に参られた 扨て広き里ニもおまいのや
うな顔容優しいはないに 深山育の習はせの栖とハ
云なから 錦や繍を身に纏 珠の笄てもさし 軽粉
ても化粧したら 王侯の召遣いの上臈や 御息所ニ
しても恥しからすと誉そやしけれハ 是なる娘ハ子
舅て わたしハ 此村の一番家持ちから娵に参りま
したと 纔五軒の 二番てハないと云ぬはかりを可笑し 
さりなから 言葉早く分りて里めきけれハ 後ニ秋山
の出湯の湯守ニ問ふに 果而 先年疱蒼のなき里へ出 
福祐の家に両三年 聊の縁を求めて奉公せしハ
此女斗りとなん 其時始めて符合せりと思ひぬ 扨て
老人ハ そんた衆静ニして行と云て 山挊ニ往ぬ 跡
*て四方を詠るに 纔の戸も 皆大木の一枚皮を 縄を
以て蝶違ひ 剰へ 戸鎖もなく 敷ものハ土間のうへに 破
れ筵 百年も旧りたるやうなを敷き 桶・木鉢類ハ見
へても瀬戸類ハ見へす 膳棚ハ縄にて釣り下け 又 門口
の雪隠を見れハ 切れ筵一枚下りてあるにそ 

雪隠の戸ハ大かたにやれ筵
くさきの多き扨もかと口

桶屋 去亥の秋の末へ 此家に一宿せしに 夜るのもの一ツ
もなく 是着替へさへ無けれハ 商人と云とも借すもの
無き故 終夜大火の炉辺に背中焙して明し 族ハ 
老人はしめ 里ニ十倍したる寒も厭はす 着たる衣
類を脱き 隅違へに腹へ懸け 炉に寄り 或ハ帯解
たる儘て 何所にても寝莞筵様のものもなく 常の筵
のうへに 木玉枕して臥せるとの事 稚より鳥獣
の如く養育られ 能々土地ニ馴たる故ならん  二十
年以前まてハ 此処か秋山の果にて 是より奥ハ 千
万の幽谷に老樹茂りて人跡を断しも 近き頃 川
向へに秋山の温泉出来し此方 漸々独歩の山路開
てありときく やゝ草臥れも直りけれハ 暇申さんと
て 短尺五・六枚ニ画賛添へて出ぬ

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