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-- 広島平和記念日を迎えて。マリヤナ時報 --

8/6に広島平和記念日を迎え、原子爆弾(原爆)が使用された事実と、改めて戦争の悲惨さや、平和の大切さについて、考えさせられます。

長らく日本は戦争を回避して来ることが出来ました。せっかくの平和も、最近では凶悪な事件も多く耳にし、命の大切さを軽視してきていないかと心配になります。また、戦争への意識が低下し、ゲームのように感じている人も増えつつあるのではないかと思います。

近隣国の軍備の増強や、核実験などがあり、日本の周辺でさえも、戦争への火種があります。いつまでも平和が保てるとは言えません。

再び、この悲劇を繰り返さないためにも、平和教育は必要であるし、大人も改めて考えなければならないのだと感じます。

当図書館の出版物には、赤紙「臨時招集令状」のレプリカ(300円)を初め、様々な戦争資料を提供しております。小中学校、高校、学習塾では、教材して採用して頂いているところが幾つかあります。

学校の平和教育の問題の一つが、終戦記念日を初めとしてた時期が夏休みであり、学校では授業が行えない点があります。また、戦争を伝えるお年寄りの方が少なくなり、お話しを聞く機会が減ってしまったことがあげられます。そのために、私どもの資料をお使い頂いているところも増えつつあります。

 

改めまして、扱っている資料につきまして一つ取り上げてご紹介させて頂きます。

マリヤナ時報・マリアナ時報(600円)

販売につきましてはお問い合せまでご連絡ください。

また、こちらのサイトも参考下さいhttp://www.i-apple.jp/red/mariana.html

大きさ、13.8mm×11.0mm ハガキ大。

1945年昭和20年7月26日付けの号外で、
7月17日のポツダム宣言を伝えるためB29から撒かれたもの

第二次世界大戦中、連合軍は様々な宣伝ビラを製作し、B29から日本軍の陣地や日
本本土に 撒いたと伝えられている。戦争末期には日本国内の民間人向けにも、
多くの宣伝ビラを散布している。戦争末期には、日本人捕虜の協力もあって、ア
メリカ軍の宣伝ビラの傾向にも変化が生じ、日本人の心情に訴えるものや世論を
ゆさぶるようなものを製作した。
マリヤナ時報は、アメリカ海軍が作成していた宣伝ビラで、当初は日系人に編集
をさせていたが、日本語に不自然さが目立ったため、アメリカ軍は日本人捕虜に
添削や校正をさせるようになった。終戦の2ヶ月前には、アメリカ軍は新聞の編集
段階から日本人捕虜に任せることにして、ハワイのパールシティ収容所に28名の
捕虜が集められた。そこで作成の中心となったのが硫黄島で投降した、小柳 胖
であった。陸軍一等兵であった小柳は出征前は、新潟日報の編集局長であった。
さらにグアムで捕虜になった、朝日新聞社の記者、横田正平、同盟通信社の記者
の高橋義樹らが加わることで、マリヤナ時報は本物のジャーナリストが作成する
宣伝ビラとなった。小柳らは、ハワイの新聞社へ出入りを許され、そこで得られ
た、戦況ニュースを編集した週刊新聞を製作した。小柳らが書いた記事の中には
戦時中でありながら、アメリカの新聞には政府批判の論説も載ることを紹介し、
アメリカ社会の寛容さを伝えようとしたものもあったが、この記事を載せたビラ
は投下前に終戦となり、日の目を見ることはなかった。終戦までにB-29から本土
に投下された、マリヤナ時報の総数は約 458万枚と伝えられている。長野電波技
術研究所附属図書館に蔵書する、マリヤナ時報は、1945年、昭和20年7月26日付け
の号外で、昭和20年7月17日のポツダム宣言を伝えるためB29から撒かれたもので
、大きさ、13.8mm×11.0mmのハガキ大。
その後、帰国した、小柳 胖は新潟日報の社長を務めたが、生前中、マリヤナ時
報について触れることはなかった、と伝えられている。

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