切支丹宗門御改帳という本があります。
元文3年、牛の八月 御平川村扣(現在、長野市篠ノ井御幣川)
96ページ、大きさ、縦約26㎝×横約16.5㎝厚さ約8mm。
PDF電子書籍版 2400円
和綴じ製本版 3600円
(2010.8月時点の価格です)
さて、この本のタイトルを読めますでしょうか?
最初の3文字で切支丹はキリシタンです。当て字だと思うのですが、
つまりはキリスト教信者の事です。
宗教による行きすぎた結束は、国を統治する阻害をすることになります。そのため、江戸時代には特にキリスト教を禁止し、この宗門改め帳を作りました。
さらに、五人組を作り、連帯責任による罰則と、互いに監視し合う関係ができあがりました。
個人的な解釈では、もともと宗教というものは神様を通じて気持ちの安定やモラルを伝えるものであったと思います。
日本の古くから見られる○○講などの民間宗教では、神様の名前を利用して、お嫁さんが息抜きをする時間を作ってみたり、お米の種籾の貸し借りをしたり、お伊勢参りとして旅行をしたり、宝くじの様なものや賭け事をしたりと、神様を都合良く利用してきた姿が見られるのですが、
宗教も大きくなると、近年に見られる戦争がイスラム教圏とキリスト教圏間で行われていることや、中東の混乱も、宗教的な部分が見られ、宗教の弊害があらわれ、修復困難な根深い問題になっています。
宗教をどのように扱っていくのか、一つの例がこの宗門改めなんだと思います。
また、五人組というシステムを改めて考えると、国が近隣との人たちとの関係を強制しているというのは、不思議な感じがします。
ただ、現在、問題になっている100才以上のお年寄り行方不明問題も、個人主義(と言う言葉で良いのかわかりませんが)すすみ、コミュニティが無くなって起こっているのなら、国が強制的に近隣との関係を作る五人組の様なシステムが、案外必要なのかもしれないとも感じました。
さて、皆さんは五人組帳からどんなことを感じるのでしょうか。