-- 蔵書紹介「桜の賦・望岳の賦」 --
『桜の賦・望岳の賦』(さくらのふ・ぼうがくのふ)
象山先生・桜の賦・望岳の賦は、大正11年10月15日(1922年)、松本高等学校(信州大学)の校舎落成に際し、松本市長小里頼永が同校の教授、岩垂憲徳氏に依頼して佐久間象山先生の桜の賦・望岳の賦の読み方と解釈を一冊の本にして送ったものである。
松本高等学校に送られたものの写しと思われる。
望岳の賦は、天保12年(1841年)象山31歳の夏の作と伝えられている。
望岳の賦は、遙かに富士山を望み、その秀麗な姿を讃えたもので、長野市松代の象山神社
に碑がある。
また、桜の賦は、桜の花が陽春のうららかな野山に爛漫と光り輝き人々の心を動かし、日本全土に壮観を呈し、その名声は印度や中国にまで響き、清く美しいさまは、他に比類がないと言い、当時、象山は門弟吉田松陰の密出国の企てに連座、松代に蟄居中であった。深山幽閉中で訪れ来る人もないが、自ら愛国の志は堅く、名華の薫香のように遠くに聞こえると結んでいる。
桜の賦は象山50歳、万延元年(1860年)の作と言われ2年後の文久2年(1862年)孝明天皇の宸賞を賜った。
象山は蟄居赦免となり翌年、京に上り皇武合体開国論を主張していた尊皇攘夷論者によって刺され、元治元年(1864年)7月11日、54歳の生涯を閉じた。
桜の賦の碑は、東京都北区王子の飛鳥山公園内にある。碑は遺墨を基に門弟勝海舟の意によって同門北沢正誠の文で書は日下部鳴鶴が書き、明治14年(1881年)11月15日と刻まれている。