岡田村地籍中尾山より発する所の湯澤の渓流は、
一方小松原村地籍光林寺裏対岸澤方面より来る渓
流と合し屈折して南に走り、岡田村字二ッ俣に於
て上堰に注ぎつつありしが、往々土砂を流出して
用水路を填塞し、附近に氾濫せしむるのみならず
、下流地に於ては、之が為め、用水の欠乏に苦し
むに至る。是ら於て湯澤の処分問題発生し、延亨
年間(一七四四、一七四七)にも至り新たに排水
路を南方に延長し、二ッ柳村地籍に至り、布施五
明村、御弊川村、二ッ柳村組合の設置に係る悪水
払堰に落す事となり爾来岡田村はこの湯澤堰の工
事を負担する外、僅かの縄俵杭材などの入料物を
醵出するのみにて、別に上堰の費用を負担せず、
揚水費は他の組合六ヶ村に於て之を負担すること
とし以て、相互の均衡を維持せり。斬くて上堰の
水路に対する土地押出しは、其虞を減ずることを
たるも崩壊する土砂は、年々其量を増加し来るを
以て、之を堀揚げて水路を通せしが、個より根本
たる治山工事のなき事とて押出すところの土砂に
よりて、耕地は漸次侵害さるるのみならず、工事
も逐年困難を加ふるに至れり。今日現存する高き
長堤は、湯澤の押出せし土砂の堆積に依って造ら
れたるものなり。而して、天保九年より係争とな
りし本件に就て、組合六ヶ村は小松原庄兵衛、布
施高田村儀兵衛、御弊川村興右衛門等を総代とし
て出訴に及びしが、翌天保十年稲荷山町問屋松木
俊司、上田町加賀屋祐治、同町蔦屋清兵衛の三人
立入り岡田村も組合割の負担を受くることに無条
件にて解決し局を結べり
一方小松原村地籍光林寺裏対岸澤方面より来る渓
流と合し屈折して南に走り、岡田村字二ッ俣に於
て上堰に注ぎつつありしが、往々土砂を流出して
用水路を填塞し、附近に氾濫せしむるのみならず
、下流地に於ては、之が為め、用水の欠乏に苦し
むに至る。是ら於て湯澤の処分問題発生し、延亨
年間(一七四四、一七四七)にも至り新たに排水
路を南方に延長し、二ッ柳村地籍に至り、布施五
明村、御弊川村、二ッ柳村組合の設置に係る悪水
払堰に落す事となり爾来岡田村はこの湯澤堰の工
事を負担する外、僅かの縄俵杭材などの入料物を
醵出するのみにて、別に上堰の費用を負担せず、
揚水費は他の組合六ヶ村に於て之を負担すること
とし以て、相互の均衡を維持せり。斬くて上堰の
水路に対する土地押出しは、其虞を減ずることを
たるも崩壊する土砂は、年々其量を増加し来るを
以て、之を堀揚げて水路を通せしが、個より根本
たる治山工事のなき事とて押出すところの土砂に
よりて、耕地は漸次侵害さるるのみならず、工事
も逐年困難を加ふるに至れり。今日現存する高き
長堤は、湯澤の押出せし土砂の堆積に依って造ら
れたるものなり。而して、天保九年より係争とな
りし本件に就て、組合六ヶ村は小松原庄兵衛、布
施高田村儀兵衛、御弊川村興右衛門等を総代とし
て出訴に及びしが、翌天保十年稲荷山町問屋松木
俊司、上田町加賀屋祐治、同町蔦屋清兵衛の三人
立入り岡田村も組合割の負担を受くることに無条
件にて解決し局を結べり