木曾義仲は幼少から信濃の豪族中原兼遠のもとで養育されてきた。治承四年(1180)9月以仁王の令旨を奉じ平氏追討の兵を挙げ、北信濃から越後に進み豪族城氏を破って北陸に進出し、平維盛を倶梨伽羅峠の戦いで破り、念願の京都入りを果たした。義仲が平氏にとってかわって京都入りする行程として、最も近い美濃経由をとらず、越後・北陸を選んだのは平氏の力を考慮したためであろう。
信濃から越後進出のためには、義仲は越後の豪族城氏を破って初戦を飾る必要があった。そのため平氏追討の挙兵に先立って木曾から北信濃に移り、善光寺周辺一帯の経略を進め、越後進出の足場を固めていたことが記録からもうかがうこともできる。経略で重視したのは、小松原伊勢社との関係をもつことであったのであろう。治承4年8月小松原伊勢社に参詣し、宮殿御造営のための陳札を奉納し、戦勝祈願を行っている。当時の小松原伊勢社は、伊勢神宮内宮の御料布施御厨といわれ、直接伊勢神宮から吏員が派遣されていたといわれている。そのためこの地一帯から大変崇敬の厚い神社と考えられ、高い権威を持っていたようである。義仲の参詣は当然であったといえると同時に朝廷との関係から京都入りのためにも重要なことと考えたのではなかろうか。こうして同年9月7日自信を持って平氏追討の挙兵を宣言し、村山氏・栗田氏の救援で平氏の家臣笠原氏と戦い、これを破り勢いを強めて越後へと軍を進めて行くのである。

1-01 共和の自然
  • 1-02 先史時代の共和村
  • 1-03 古墳時代の共和村
  • 1-04 奈良・平安時代の共和村
  • 1-05 鎌倉‐安土桃山時代
  • 1-06 江戸時代の共和村
  • 1-07 江戸時代の農民の暮らし
  • 1-08 明治初期の村の暮らし
  • 2-01 村の古道、街道
  • 2-02 村の用水
  • 2-03 村の神社仏閣
  • 2-04 村に伝わる民間信仰
  • 2-05 村の石碑文
  • 2-06 村の珍しい地名
  • 2-07 村の年中行事
  • 3-01 共和村の移り変わり
  • 3-02 学校の移り変わり
  • 3-03 社会教育活動の広がり
  • 3-04 村の福祉の進展
  • 3-05 道路の発達と村人の生活
  • 3-06 りんごの里の誕生
  • 3-07 多角経営を指導した農協
  • 3-08 戦争と村人
  • 3-09 村人を驚かせた災害
  • 3-10 生活用具や農具の変遷
  • 3-11 文化・レジャー施設
  • 3-12 その他
  • 信州共和村


    Publicity

    • 共和村広報部
    • 信州共和村付近の企業様,団体様を紹介致します。


    西飯田酒造
    西飯田酒造

    東飯田酒造
    東飯田酒造

    海沼旅館/海沼ドライブイン
    海沼旅館

    フランの花屋
    ウェブカメラ

    亀見山光林寺
    亀見山光林寺

    日輪山天照寺
    日輪山天照寺

    雪厳山玄峰院
    雪厳山玄峰院

    常光寺岡田観音堂
    常光寺岡田観音堂

    サイトの掲載を希望する企業・団体様がおりましたら,お問い合わせください。ご案内いたします。

     


    Contact


    Living environment


    A consumer

    • 消費者生活センター
    •  ▶ セブンイレブン・郵便局
    •  ▶ インターネット回線探し


    Education