応永7年(1400)、小笠原長秀は待ち望んでいた信濃守護となった。将軍足利義満の意を受けた長秀は、信濃国人層への統制策を強行したが、村上氏を中心とする国人層(在地豪族)の反発をひきおこして敗北して京都に去った(大塔合戦)。幕府は応永8年斯波義将を守護に復帰させ混乱した信濃の回復をはかったが、義将はわずか1年余りで信濃の守護の職を失い、幕府は応永9年信濃を料国(将軍に直属する国で、守護不設置)とした。
室町幕府が信濃を料国としたことは、信濃が関東と隣接し政治・軍事的に重要な地であったこと、幕府と対立していた鎌倉府に備えること、さらに東国地方支配のための基地としたい目的があった。こうしたなかで幕府が信濃支配におくりこんだのは細川滋忠であった。

市川氏貞軍忠状によると、応永10年細川滋忠に対して村上・大井・伴野・須田ら国人の反抗に始まり7月24日壇原(段の原)で合戦があり氏貞の奮戦を記している。さらに合戦は生仁城(更埴市雨宮)に移り、10月3日には国人のたてこもる塩崎新城を攻略したと記している。この一帯は村上氏の勢力範囲であった。

壇原については若槻の壇田説もあるが、戦いの範囲とその後応永11年9月から高梨氏討伐の攻略進路を考えると、壇原は段の原の地と考えられる。

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