岡田川の水源は、仲尾山湯沢で、古文書によると太郎兵衛山と呼ばれ、岡田・小松原・今井の秣湯(入会地)の山であった。
永禄7年(1564)の川中島合戦の図には、岡田川は記載されていない。当時は段ノ原を中心に北は前河原、南は岡田裏までで、川筋はなかったのではないか。この川は普段は流水が少なく、砂礫のため途中でなくなってしまうが、大雨が降ると様相が一変して各地に被害を及ぼしたとある。

慶長年間(1596~1615)岡田川の川筋を小松原村境で人為的に南へ向け大隈地籍で水を溜め、稲作に利用した。このころの川尻は上堰の二つ俣(大門)である。上堰へ合流していた岡田川は、しばしば土砂を流出して上堰をふさぎ、付近に氾濫したり、下流地域が用水の欠乏に苦しむようになった。そこで、延享元年(1744)岡田川を南へ延長する水路を造る大工事が実施された。この水路は、布施五明村・御幣川村・二ッ柳村組合が設置した大払堰に落とし、千曲川へ流入させた。

それでも土砂の流出が続き、天保9年(1838)には「御幣川村など六か村組合と係争になり、岡田村も同組合の組合割を負担することを条件に解決した」と記録されている。岡田川は、水利用の面もあったが江戸時代から厄介ものだったともいえる。

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