小松原村は『古来ヨリノ記録』によれば、小笠原氏が信濃守護職のころには、40戸または42戸、布施氏が領していたころ(室町時代中期)は、50戸であったと伝えられている。
ところで、天保13年の村の戸数は158戸、人数は750人(男366人、女384人)であった。ほかに寺が2寺、塔中が2か所、神主1戸、山伏1戸、堂が3か所あった。当時、村政は名主・組頭・長百姓の村方三役を中心に行われ、名主の統制下に五人組があり、組内を統制した。村の五人組は8組あり、1組当たりの戸数は小さい組が8戸、大きい組が29戸で編成されていた。五人組は、仲間の扶助・治安・年貢上納などに連帯責任を負ったので、組内は家出人や犯罪人がでたときは、親類と共に請書を出している。

このころ、松代藩は、農民の階層を一打(本百姓)と判下(別家・帳下等)とに区分し統制していた。本百姓は、村により若干異なっていたが、屋敷地を含めて5石(約50アール)以上持つことが必要であった。村の本百姓は113戸、判下は45戸で、本百姓が72%を占めており、他村に比べて本百姓の割合が高い村であった。

弘化4年(1847)の善光寺大地震により、家屋が倒壊・流失し、死者も出るなど村に大きな被害をもたらした。このころは、村の戸口も微増傾向であったが、明治13年には、戸数188戸、人口964人となり、明治期に入り村の戸数は急速に増加してきた。

1-01 共和の自然
  • 1-02 先史時代の共和村
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  • 1-06 江戸時代の共和村
  • 1-07 江戸時代の農民の暮らし
  • 1-08 明治初期の村の暮らし
  • 2-01 村の古道、街道
  • 2-02 村の用水
  • 2-03 村の神社仏閣
  • 2-04 村に伝わる民間信仰
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  • 2-07 村の年中行事
  • 3-01 共和村の移り変わり
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  • 3-03 社会教育活動の広がり
  • 3-04 村の福祉の進展
  • 3-05 道路の発達と村人の生活
  • 3-06 りんごの里の誕生
  • 3-07 多角経営を指導した農協
  • 3-08 戦争と村人
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