太平洋戦争が始まると徴兵検査をすませた若者は次々に戦線へ送り出された。当時の小学校は高学年は男子組、女子組に分かれ、男性教師が担任するのが普通だった。しかし、男性教師は相次いで徴兵されたので男性教師が足りなくなり、100人を超す男女合併教室が生まれ、それを1人の教師が担任するという状態であった。そのうえ、戦争末期には学童疎開が始まり、狭い教室は一層狭くなった。ちなみに、昭和20年9月、共和国民学校に転入してきた疎開児童は202人もあり、屋外の学習活動が多くなった。
一方戦争が拡大するにつれ、軍需物資の生産が優先され、化学肥料の配給はストッブし、農産物の生産量は減退し、食糧事情は急速に悪化していった。食料増産を図るため、山林や原野を開墾し畑にすることが奨励された。共和小学校の校庭も開墾され、さつまいもやかぽちゃが植えられた。戦争末期の昭和十九年には水戸の工兵隊が小学校に疎開、駐屯することになったが、軍隊の食糧事情も悪かったのか、生徒が一生懸命育てたさつまいもやかぼちゃは、この工兵隊員に掘り起こされ、生徒の口には入らなかったという。また、校庭のほか茶臼山の荒れ地にも農場が作られ、高学年を中心にさつまいもやかぼちゃが植えられた。更に、戦争末期、小松原の山頂部にある通称「さんじょうやま」のりんご畑も小学校で耕作することになり、校外での労働時間の方が多い状態が続いた。

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