武田信玄が川中島合戦のときに布陣したといわれ、「動かざること山のごとし」といわれ、動かない物の代表とされていた山が動いた。茶臼山は標高730メートルの北峰と南峰720メートルが並んであったが、弘化4年(1847)の善光寺地震によって山が緩み、50年ほどたった明治30年(1897)ころから次第に土砂が動き大正末期から昭和初期にかけて、地滑りが活発になった。
その規模は長さ2キロメートル、幅130メートルから430メートル、その面積46ヘクタール、土砂は900万立方メートルと言われている。昭和初期から様々な調査、工事が行われ、昭和50年ころから安定に向かい、植物園、恐竜公園などに活用され、平成6年(1994)ころからは年間雨量100ミリを超えても土砂の移動がなくなり、平成九年には終息宣言がなされ記念行事が行われた。

なお、岡田・小松原古文書によると、茶臼山の地滑りは宝暦7年(1757)にも、新田三軒屋、宴ノ城の下が幅200メートル、長さ1400メートルに渡って崩れ、深町地区が被害にあい30石余りの田んぼに土砂が入って田植えが遅れた、と当時の岡田村庄屋、清水六郎右衛門が藩に注進している。また、このとき、清水六郎右衛門は地滑りの現場にお化けがでたのを2キロメートル離れた築地から目撃したと言う話が後世に伝えられている。

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