抑、当家村上之大祖者信州十郡賜内六郡半者
為本領所之所ニ平時政当家悪信州十郡之内四郡ヲ分テ
甲州源氏小笠原貞宗信濃守ニ成而、諏訪阿曇伊奈
筑摩此四郡之政者所ニ定雖然、本領所更科埴科高井
水内小県佐久筑摩半郡上野国吾妻郡並越後国
頚城郡・魚沼郡義清代迄令領地。
一、天文元年春中、小県郡滋野正統、海野棟網子
海野左京大夫幸善ト義文字ヲ論じ而、遂合戦。幸善
令討誅。当方林能登守、幸善ガ首ヲ打取、同郡神川之
東北ニ首ヲ埋テ左京大夫塚ト言。海野二曹洞宗ヲ建テ
幸善寺ト号。幸善ガ父峰綱者、壱人息女召連敗北
家中一族共ニ出発。其中ニも真田源太夫左衛門幸隆ハ上州
小幡尾張守所ニ至経年月武田晴信ニ仕テ弾正忠ト改名此
幸隆ハ横綱ガ下腹の娘候。右一戦前より嫁有之
一、天文七年越後国長尾弾正忠為景ト信州高井郡
稲付ヵ原〇内郡黒川ニ而合戦、一日六度乍六度
義清得利其場ヲ野村上号、此時越後頚城魚沼
両郡ヲ切取。
一、甲州武田左京太夫信虎、同晴信ト不和ト成源根者当方
幕下平賀四郎成頼入道源信、百姓等甲州在々所々ニ至、
致狼藉、其者補而平賀方へ雖告、仕置ヲもせず、却而
令放言、返答ヲもせず。故ニ信虎欲及一戦。晴信雖若輩、
其内意ヲ義清方へ棒一簡事度々、終不和。
晴信書簡壱通有、
一、天文十五年三月中旬、信州小県郡戸石合戦之時、当方
矢沢薩摩ト武田方真田弾正ト内通ニて南ノ台より
当方武田ト合戦。晴信人数三千余ニ而、一五日暁天より
戸石追手二押来。南之台を取切、長蛇陣シテ一日城外江
詰寄合戦城中、当方侍大将、三井壱岐、赤埴大和、日後
備中、足軽大将矢沢薩摩・塩尻半兵衛・赤池薩摩城中より
突而出防戦。此由芦石より葛尾江告来ル故、当方人数
七千卒テ三里道半時計二騎付ル其時先手清野刑部
山田井上須田香坂寺尾大室保科荒井石川小鹿野
平林布施等合戦而当方得利武田方勢南方江追
下ス所右之矢沢薩摩心替故、真田弾正ト心ヲ合当方江横
入りス、故当方悉敗北而、戸石城代日後備中討死。戸石
落城以来小県郡武田二随。
一、天文廿ニ年三月十五日武田晴信人数壱万五千人ニ而小県、
東部江働出同郡川西塩田郷ニ至義清人数七千
余ニ而小県ト更級境、天白仕二出張ル上田原江出向廿四日
合戦卯刻より午刻より午刻迄四刻、五度合戦。
武田方先手板垣信形討死。当方二も雨宮刑部討死、五ヶ度ナがら
当方得利之所代々当家門葉候侍大将壱人葛尾
城代留守居たる所武田方江内通ニ而、葛尾本城ヲ焼立
故、当方諸士騒動。然共義清旗本人数ノ内、五百二而
晴信旗本人数七千ト未上刻より同下刻迄合戦
晴信旗本勢西方江四丁余追崩し、晴信加畠村江引入之所、武田
勢当方ノ跡ヲ遮ル故当方敗軍。義清ニ随武士ニ者、若槻、
左京、滝沢宮内、宮原藤左衛門、荒井豊前、出浦正左衛門、坂田内蔵、
西村下総此七人前後取廻、越後分魚沼郡江引入中二も
宮原左衛門敗軍人数五百余率後殿、当方金井原弾正、
石黒弥五之丞、丸田市右衛門、鷲田掃部踏留り敵を防、此時、
より魚沼郡居城、其後、春日山城主長尾弾正景虎
ト和融ス。景虎、義清ヲ弓矢之父ト頼候由、約諾有テ
義清ヲ山浦之号屋形ト、崇敬セラル。
一、義清子、源五国清ヲ天文廿年秋より景虎養子
望之義清芯之。此由信州川中嶋丿諸士等伝聞テ、
大悦、越州景虎江志ヲ通ズ。信州武田方多雖有之、
村上先方ノ者共合志故景虎心安、川中島江戻ル。出張
其節者、川中嶋高井郡、埴科郡、更級郡、水内郡
此四郡ノ侍共、百姓等ニ至迄景虎ト志ヲ通ジ而天文十六年
より弘治三年迄、別而水内郡諸士共、戸隠山三院之
衆徒武田ニ不随言。弘治三年村上先方、水内郡
葛山城主小田切駿河守幸長武田ト戦討死。其首武田方
室賀兵部ガ同心、山岸清兵衛ト云者捕候。此時水内郡
甲州江随
国清、天文十五年埴科日名之館出生。母小笠原大膳大夫長棟嫡女。
一、天文廿年ヨリ越後謙信ノ養子ト成、諱ヲ改、山浦
源五景国ト号。
一、天正元年父義清卒ニ付、村上嫡伝断絶ヲ悲、山浦
源五景国ヲ改而本名ニカヘリ、村上源五国清ト号。
一、謙信ノ姉婿越前朝倉左金義景娘謙信養、
国清嫁ス。
一、天正六年春、謙信卒去ニ付、春日山悉騒動、家中三ツニ分ノ
景虎方、景勝方、村上方ト割。然共国清ハ好ミ有故、景
勝江一味助成シ景虎ヲ追出シ景勝春日山之城主ト成。
景虎ハ越後本庄之城江引退籠城。其人数七千、国清人
数三千卒而本庄ニ赴、海手より陸地江責寄相戦之所、国清
方江者上州吾妻より加勢来ルト相聞所、春日山より者、直江
山城守人数五千ニ而国清方江為後詰、大船十四艚ニ而、
海上より押来然ル所、国清家老出浦正左衛門清重下知して
以後、山城守加勢ヲ以本荘貴落スト沙汰有テハ国清家中
働無甲斐事也。山城守人数壱人も陸地江不可上ヶ船中ニ
被控候江ト可申旨申付遥沖江正左衛門小舟ニ而乗出し、山城守ニ
右之旨申聞、沖中ニ押置城中江責登三日之内責落、
景虎之御首ハ当方久保仁兵衛打捕候。此節より越後本庄ヲ
村上ト改名。景勝證文有之。則村上城付十五万石領地。
一、天正十年六月、信州川中島ノ百姓等方より国清
方江飛脚到来。海津領主、森勝蔵殿今度信長公
御切腹二付、上京被申候。御出馬有之。御本意然旨申越、
其上人質等渡故、早速信州江令出馬、海津之城代
栗田刑部・矢代越中守ト一戦。此両人元来門葉たる由緒ヲ
申立降参。即日海津ヲ勝取、国清入部。
 20回目までです。



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