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平林藤左衛門のこと

平林藤右衛門かも知れません。この方ウチの近く300mくらいのところにお墓
があります。
玄峯院というお寺の開基とされています。
戒名 雪巌院殿玄峯道三大禅定門 永禄12巳己6月17日と刻まれています。
永禄12年6月17日は前日16日に武田信玄の軍は御殿場経由で北条氏の領土伊豆
進攻を目ざし最初の目標として、今の静岡県駿東郡の古沢新城を襲った。北
条綱成父子、松平憲政が守る城は堅固で城内に踏み込む事ができず苦戦して
いた。武田信玄は城攻めをやめて、
伊豆の三島を奇襲、民家に火を放ち武田方の先方隊はさらに北条氏側の領域
に入り北条氏政の弟氏規兄弟と戦って500人余りの北条勢を討ち取り帰陣し
た。この時、釜の段で、平林藤左衛門は討ち死にした。釜の段とは、現在の
静岡県沼津市大岡字釜の段と推定される。
また、亡くなったとき平林藤左衛門は、武田信玄の家臣、馬場美濃守信房に
従って自らの軍10騎ほどを引き連れていた。馬場美濃守信房は長野県上水内
郡信州新町牧野島城の城主で、平林藤左衛門は副将であった。平林藤左衛門
は肥後守で今の熊本県を武田信玄から貰うことになっていた。たぶん、武田
信玄が天下統一を成し遂げた時には熊本を与えるとの約束があったモノと推
定され、平林藤左衛門は肥後には当然行ったことがなく、何処にあるかも知
らなかったかもしれない。平林藤左衛門亡き後は子供の正恒が後を継いでい
る。長篠の戦いの際は馬場美濃守信房は武田勝頼を帰途に就くのを確認して
討ち死にしている。馬場美濃守信房の最後の場所とお墓は愛知県新城市に現
在も残されている。
長篠の戦いでは平林正恒は上杉軍の攻撃に備えて信州新町の牧野島城で警備
に当たっていたため戦死は免れた。平林氏は布施氏とも呼ばれ、地元の豪族
であったが小さな土着豪族であったため、以前は坂城の村上義清に属し、村
上氏が上杉氏を頼って上越に行ってからは武田氏に就き、武田氏滅亡によ
り、上杉氏に従った。その後、上杉氏移封に従って、会津、米沢と移動して
いった。400年前のウチの村の中には平林藤左衛門の様に土着の小さな豪族と
その関係者、また、川中島合戦の時に派遣されてきた武田系の武士とその関
係者、武田氏滅亡後入ってきた上杉系武士と関係者の人たちが住んでいた。
武士はその後、上杉氏の移封に伴い移動していったので百姓だけが残り現在
に繋がっている。江戸時代人の移動がなかった為、江戸時代の300年と昭和の
戦後まで末裔が引き続き住んでいる。
ちょっと歴史も面白かったかな、じゃまた、サマンサでした。


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  • 参考までに
  • 吾輩は猫である (岩波文庫)
  • 魔女の宅急便
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