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赤地蔵のこと

村の中にはいろいろな石仏や石碑があります。
今でも碑を建てたり、お墓を建てたりするのは
お金がたくさんかかります。それは、明治時代や江戸時代にも
同じで、お金がかかったことと思われます。
むしろ、今の方が機械化が進んでいて鏨で形や字を刻み込んだ
時代からすれば人件費の点では安いのかも知れません。
こうして高額のお金をかけて残した石碑や石仏は先祖からの伝言として
捉えるといろいろなことが想像できます。
昔の村は、数戸から数百戸の集落で、ウチの村は170戸ほどです。
それが30戸程度で地形や距離それに親戚筋などで集落を作っていました。
これは江戸時代から現在に至るまでその形態は続いています。
最近は田畑を持っていなくても生活ができるため戸数は増えています。
赤地蔵はこうした30戸ばかりの村のはずれあります。
江戸時代、明治時代は村の祭典係が管理していましたが、
昭和初期に個人に払い下げられ、現在はまた地域で管理しています。
この赤地蔵の場所は掲示場、刑事場、赤子地蔵、などと
呼ばれ本来は何に使われた場所かはっきりしません。
掲示場とは上からの伝達事項を伝えた高札場のこと、
また、刑事場は処刑場のことで明治時代に庄屋さんの
手代が処刑されたとの言い伝えがあります。
昭和の中期に工事の際、頭のない遺骨が掘り起こされました。
赤子地蔵は生まれたばかりの名がない水子
の供養の場所とも言い伝えられ、村で今でもお祭りをしています。
女性と子供だけが赤子地蔵のお祭りに参加しています。
場所によっては念仏を唱えてお団子や花を供えて
供養しているところもあります。
江戸時代は十代で結婚する人が多かったので、出産数は多かったのですが
1才の誕生日を迎えずに亡くなる子供も多かったと考えられ、
過去帳にも記載されずに葬られた子供たちも多くいたと思われます。
ウチの過去帳では平均8人程度の子供が生まれ
2、3人の子供が成人していたようです。
幼くした亡くなった子供の数は数人で、
さらに1才未満の子供もあったと思われます。
過去帳やお墓に記載のない子供たち、
中には飢饉で間引きされた子供たちの共同墓地、
それが赤子地蔵である考えられています。
ですから生き残った子供たちの成長を見ているかも知れません。
赤い帽子に赤いよだれかけを掛けた赤いお地蔵さん、
赤地蔵と呼ばれています。
今も女性と子供たちが供養しています。
男性には立ち入ることのできない場所のような、
まなざしの赤地蔵さんです。
ではまた、サマンサでした。


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  • 参考までに
  • 吾輩は猫である (岩波文庫)
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