甲州100匁柿とウチの百〆柿はDNAを調べたら同じものでした。
ウチの100〆柿は、少なくても100年以前から
ウチの庭にあったと先祖から聴いた、おばあちゃんが83歳で亡くなりました。
で、いつからあるかは分かりません。
10年に一度くらい、御近所に迷惑にならないように枝を下ろして、
ウチのハシゴが届く程度の5mくらいにしています。
ですから、果実の木の手入れと云うより、植木の手入れなのです。
甲州100匁柿は、100匁、360gの大きさがあるということで名前が付いたようですが、
ウチの柿は大きくても100gにはならないようです。
剪定とか摘果とか消毒とか、手入れをすれば甲州100匁柿のように
大きくなる事が分かりましたので、いつか試験をして見ようと思います。
不思議なことに、甲州100匁柿は渋柿なのですが、ウチの百〆柿は甘柿なのです。
宮崎安貞という人が、中国の農書、農姓全書を参考にして、
さらに自分の経験を元に、元禄十年(1697)に書いた、農業全書という本に
柿の栽培方法が出ています。
この本はウチの図書館にあります。
この柿の栽培法の中に、柿を早くならすには、渋柿の実を蒔いて、
育ってきたら接ぎ木をする、とあり、実から育った木は同じものが育ちにくい。
また、接ぎ木して、良く育ったものにまた、接ぎ木すると、
種なしの柿ができると云われているが、まだ、試したことはない、などと書いています。
渋柿の利用方法とか、渋抜きの方法がいくつか書かれています。
ウチの先祖は柿には肥料をやってはいけないと、云っていました。
肥料をやると渋柿になると云っていました。
私が知っている限りでは肥料を一回もやっていません。
甲州100匁柿は、肥料をやり、手入れをすると
大きい実になり、渋柿になるようです。
また、肥料もやらずに、手入れもせずにおくと、
実の小さいものがたくさんなり、甘柿になるようです。
ウチの100〆柿は、先祖が云った通りに、毎年、甘柿になっています。
ではまた、サマンサでした。
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柿が色づきました(4)
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