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気になる女性

武田滅亡記を書いた人がいます。
勝沼次郎五郎信友の娘、松葉です。
勝沼氏は、武田信縄の子で武田信虎の弟に当たる信友が、
勝沼に領土を与えられ、勝沼氏を名乗るようになったそうです。
信友が勝沼氏を名乗るようになったのは、永正17年(1520年)頃とされています。
信虎が信頼のおける弟、信友を勝沼に置いたとされ、
天文5年(1535年)8月22日、北条氏綱との戦いに敗れ信友は戦死しました。
信虎の子は信玄で、松葉と信玄は従兄弟と云うことになります。
松葉の実家、勝沼氏は永禄3年(1560)11月3日、
信友の跡を継いだ信友の子、信元が、上杉氏家臣と内通したとされ
信玄に成敗され勝沼氏は二代で滅亡したとされています。
これにより、勝沼氏館も廃城になり、歴史上から消えてしまった一族です。
勝沼氏館は、昭和48年(1973年)ワイン工場の建設に伴い発掘が行なわれ、
工場建設予定地は変更され、現在も発掘調査が継続されています。
また、勝沼氏館の一部は整備され、中世の館が復元されています。
永禄3年と云えば、永禄4年に川中島合戦の
一番大きな戦いがあった前の年ですから、疑問もありますが、
それは、戦国時代のことですから。
この時、松葉は雨宮氏に嫁いでいましたが、この事件後、
雨宮氏自身も疑われることを恐れ、離縁され、
勝沼氏館近くの、大善寺にて仏門に入り理慶尼となりました。
それから22年後の、天正10年(1582)3月3日、
岩殿山を目指して落ちていく、信玄の子、
勝頼と孫の、信勝を出迎え、
大善寺の境内の薬師堂に泊めたと記されています。
さらに8日後、天正10年3月11日に、武田氏は滅亡しました。
理慶尼は離縁させられた時、妊娠していて、その子は
大善寺の近くの民家に引き取られたとあり、末裔がいるそうです。
その後、徳川時代になって、理慶尼は武田氏の滅亡記を書き上げたようです。
理慶尼記とか武田滅亡記などと呼ばれています。
明治時代にコピーされた理慶尼記がウチの図書館にあります。
理慶尼真跡と題されたコピーをデジタル化しましたのでお分け致します。
江戸時代前期に理慶尼自身が書いたとされ、ひらがなで書かれています。
訳はここにあります。
http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/nihon/rikeini.htm
訳があっても武田氏など時代背景を知らないと理解できませんが
自分の実家を滅亡に追い込み、自分自身の人生をも変えてしまった、従兄弟の信玄、
その信玄の子供と孫の最後を綴った文章ということになります。
他の人が書いた歴史小説とも云われていますが、あなたはどのように読みますか。
お問い合わせは、いつもの official@i-apple.jp まで。
今日はお知らせになってしまいました。
ではまた、広報担当サマンサでした。


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