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リサイクルは昔から

ウチの近くに合戦場と言うところがあります。
第4回目の川中島の合戦は、この合戦場で行われました。
永禄4年、1561年9月10日、武田信玄、上杉謙信の宿命のライバルが
川中島の領有をめぐって戦った、戦国時代を代表する合戦です。
この合戦による死者は上杉軍が3000人余、武田軍が4000人余と伝えられ、
激戦地の八幡原付近に死者を葬った塚がいくつか残されています。
道路拡張のため、その塚の一つを発掘した時に、中から錆びた刀が
何本かでてきたそうですが、鎧とか他の武具は発見されなかったようです。
また、長篠の戦いは、天正3年、1575年5月21日、長篠城をめぐり、
織田信長、徳川家康の連合軍3万8000人と武田勝頼軍1万5000人との間で行われた
戦いで、決戦地が設楽ヶ原だったため設楽ヶ原の戦いとも言われています。
当時の最新兵器であった鉄砲を3000挺用意し、さらに新戦法の三段撃ちを
実行した織田軍の前に、最強と言われていた武田騎馬隊は無力だったと伝わっています。
結果は織田、徳川軍の勝利に終わったのですが、6000人近い犠牲者を出し、
武田軍は1万2000人の犠牲者を出したと言われています。
最強と呼ばれた武田の騎馬隊を破ったというのが通説ですが、
鉄砲3000挺という数と三段撃ち戦法については史料上の問題が多いそうで、
否定する説も多いようです。
3000挺の鉄砲を使って、1万8000人もの犠牲者がでたのですから
銃弾や武具などの遺品や遺物が残されていても不思議ではないと思うのですが、
近くの歴史館には無かったようです。
一説に、戦国時代の合戦では、死傷者から鎧や武具をはぎ取り、回収する係りや
リサイクル業者が着いて来ていたようです。
驚いたことに、戦死者の首も戦功を挙げられなかった武将に
売っていたものがいたようです。
リサイクルは戦国時代にも盛んに行われていたようで、
回収された首は化粧を施して、見栄えを良くして、武将の位をも
高くする工夫をして売っていたようです。
また、奈良市大森町の平城京跡では、正倉院宝物に使われているのと同じ
奈良時代の金銅製の花形鋲1点が出土したそうです。
このほか、折れ曲がるなどした丸い銅鋲約30点も確認され、
奈良市埋蔵文化財調査センターは、調度品などに使われていた銅鋲を、
リサイクルしようとしていた可能性がある、と言っています。
ではまた、広報担当サマンサでした。


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  • 参考までに
  • 吾輩は猫である (岩波文庫)
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