ウチの裏山に小さな城跡があります。
吾妻鑑や平家物語にでてくる武将が活躍した時代から
あったようですから、800年以上も前からあるようです。
武田、上杉が戦った川中島合戦の頃には、村の城として村人が、
閉じ籠もる場所であったとも言われています。
今は、石垣もなく、馬場の跡や空堀の跡や小さな祠があるだけです。
その祠も竹に被われて、山の中で探すのには、
苦労するようになってきました。
現在、この城跡の周辺には、竹が3、4種類繁殖しています。
言い伝えでは、合戦になった時に、これらの竹を使って、
竹槍や弓や矢を作ったり、竹の束を作り、鉄砲の玉除けに使ったとか、
また、くま笹の葉を使って、おにぎりを作ったとか、ちまきを作ったとか、
飴を包んだと言われています。
まあ、季節に応じて、ほうの木の葉を使ったときは、
ほう葉巻になったと思いますが、これらは、
今風に言うと、戦争の後方支援をしていたようです。
戦国時代には、合戦のどちらかの後方支援をすることで、
村人は生き残ってきたのかも知れません。
合戦には、携帯食として糒を持ってきたようです。
糒はご飯を干したもので、夏には水につけて、また、冬にはお湯につけて、
ふやかして食べていたようですが、おにぎりやちまきがあるときは、
保存ができる糒は食べなかったと思います。
永禄4年、川中島合戦の4回目の戦いでは、ウチの村の城は上杉軍に
包囲されていたようですから、村人全員で、
上杉軍のおにぎりを作っていたと考えると、またまた、
知らない別の合戦が見えてきます。
ではまた、広報担当サマンサでした。
追伸、これから紅葉が進み、竹が青々と見えるようになり、
城跡を知らせてくれます。
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