架材第24隊の総会は出席者が8人になり、今年で終了するそうです。
一緒に、戦争に行った戦友が毎年、順番に幹事と場所を決めて、
総会を開き、戦没者の供養を続けてきたそうですが、
今年は出席者が8人になり、来年度は
幹事も場所も決めることができなかったそうです。
今年の幹事さんから、今年をもって終了するとのハガキが届きました。
ウチの父親は、この架材第24隊に属していたそうですが、
何処に、何の目的で、誰の命令で、誰と行ったのかは、
聞く機会がありませんでしたが、33年前に父が亡くなった年に、
この架材第24隊の総会の通知が来ました。
その時は、近くの善光寺で戦没者の供養をするとのことでしたので、
子供の私が出席して、父がお世話になったこと、父が亡くなったことを
皆さんにお伝えして、お礼を言いたいと伝えたら、
幹事さんに強い口調で断られました。
その後、架材第24隊の総会の通知は30年間、一度も来ませんでしたが、
今年は、総会の出席者が8人と激減し、来年は総会が開けなくなったとの通知でした。
こちらからは、ただ、ご苦労様でしたとハガキで返信しておきました。
しばらくしてから、最期の幹事さんから、
家族の人を強く断った理由が書かれた封書が届きました。
戦争中、戦地でのできごとは、その場にいた戦友でなければ話せないことで、
家族にはとても話せないことでした、とのことでした。
さらに、人数が減った戦友は先に逝かれた戦友と同じように、
いろいろなものをお墓まで持っていくとの決意も書かれていました。
何となく分かっていましたが、戦友会とは観光旅行とは違い、
家族同伴で行くことができないのです。
ではまた、広報担当サマンサでした。
追伸、父はカラオケで軍歌を唱いませんでした。
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戦友会に家族を連れていけない理由
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