HOME ▶ サマンサ日記


源平盛衰記には 

信濃国安曇郡に、木曾と云山里あり。彼所の住人に、木曾冠者義仲と云は、
故六条判官為義が孫、帯刀先生義賢には次男也。義仲爰に居住しける事は、
父義賢は、武蔵国多胡郡の住人、秩父二郎大夫重澄が養子也。
義賢武蔵国比企郡へ通りけるを、去久寿二年二月に、左馬頭義朝が
嫡男悪源太義平、相模国大倉の口にて討てけり。義賢は義平には叔父なれば、
木曾と悪源太とは従父兄弟也。父が討れける時は、木曾は二歳、名をば駒王丸と云。
と書かれています。つまり、木曽義仲は、長野県木曽郡ではなく
長野県安曇野郡木曽と言う山里に居住していた、と書かれています。
鎌倉時代(1185~1333年)には、長野県木曽郡は美濃国恵那郡の一部でした。
長野県木曽郡は鎌倉時代に美濃国から分離され、長野県筑摩郡に編入されました。
それ以前には、鳥居峠や境峠が信濃国と美濃国の境であったため、木曽義仲
(1154~1184年)が育った時代には、長野県木曽郡は岐阜県だったのです。
では、筑摩郡が安曇郡になっている理由は、なん何でしょうか。確かに、
塩尻市洗馬には、小曽部と言う地名があります。小曽部には、木曽義仲が
育ったという言い伝えがあります。平治元年(1159年)木曽義仲の父の
命を奪った悪源太義平が討たれたため、木曽義仲は国府、松本に住むことになり、
この時、木曽義仲は7歳と書かれていますから、小曽部には4年ほどいたことに
なります。ところで、今の長野県木曽郡にはたくさんの木曽義仲に関連した、様々な
ものが存在していますし、観光客も木曽義仲が成長した場所として訪れています。
何か変だと思うのです。
ではまた、広報担当サマンサでした。
追伸、当図書館には、江戸時代に作られた源平盛衰記、全48巻があります。
この原本からのコピーを販売しています。


サマンサ日記の月別バックナンバー


タグクラウド

 


I'm Samantha.

  • プロフィール
  • サマンサ
  • サマンサは猫です。
  • 広報担当の三毛猫です。
  • サマンサ日記は、
  • 猫の目線から見える世界を
  • 綴った研究雑感です。



Helpful ・・・

  • 参考までに
  • 吾輩は猫である (岩波文庫)
  • 魔女の宅急便
  • アイムス 成猫用 白身魚味 7.5kg
  • アイムス 成猫用 体重管理用 チキン味 7.5kg

 


Translation


Recent


Category