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少ない1945年生まれ 沖縄戦の過酷さ物語る

沖縄タイムスの記事です。
沖縄戦があった1945年の前後に生まれた人々は他の世代に比べて少なく、
乳飲み子が戦禍の中で生き延びる過酷さを物語っている。
最大の激戦地となった糸満市は、沖縄戦当時に本籍があった市民を対象に
戦災調査を実施している。市史などによると、45年1月1日から、沖縄の
日本軍が降伏調印した9月7日までに県内外で生まれた赤ん坊は318人で、
36年からの10年間の同期間では最少。最も多かった43年の755人と比較すると、
4割余にとどまった。このうち、県内で出産した母親は196人で、誕生したのは
双子も含めて198人。戦没者は母親が28人(戦没率14・3%)に対し、
赤ん坊が81人(同40・9%)で、赤ん坊の戦没率が母親の約3倍に上った。
また赤ん坊の戦没率は、母親生存の場合は33・1%なのに母親戦没では
86・2%に跳ね上がり、赤ん坊の生死が母親に委ねられていた実態がうかがえる。
同市史編集委員会は時代背景について、独身男性や夫たちが軍人軍属として
召集され結婚・妊娠が少なかったことなどを指摘。「戦争被害としてどこにも
表れないが、流産した子どもや母親とともにおなかの中で絶命した胎児の存在も、
出生人数が少ない要因の一つであることは明らかだろう」と分析している。
■「奇跡的に生き延びた」
さらに、戦時中に赤ん坊だった世代が働き盛りの44~46歳を迎えた1990年
国勢調査を見ても、不自然に人口が少ない同様の傾向が読み取れる。
例えばこの年の沖縄県内の44歳は男女合わせて約8千人だが、
43歳は1万6千人余と、わずか1年の違いで人口が倍増している。
県内各地の45年生でつくる「一期一会の集い」で事務局を担う糸数義和さん(68)
=那覇市=は那覇中学校時代、「ぼくら45年生は1学年9クラスだったが、
第1次ベビーブーム世代の2学年下は、2倍以上の21クラスもあった」と振り返る。
43~45年生の誕生からの体験をまとめた「赤ん坊たちの〈記憶〉」(2012年6月
23日発行)で編集委員を務めた大城道子さん(70)=同市=は「奇跡的に生を受け、
生き延びたのが私たちの世代。0歳当時の記憶はないが、親や周囲の話を基に
物語を紡ぐことができる。それに語る値打ちがないかと言われると、そうではなく、
聞いたり話したりすることの積み重ねが、風化を埋めていく」と語った。
(戦後70年取材班・新垣綾子、島袋晋作)


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