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平家物語の著者を教えて下さい

平家物語の著者についてWikipediaでは、下記のように書かれています。
作者については古来多くの説がある。最古のものは鎌倉末期に成立した
吉田兼好の『徒然草』で、信濃前司行長(しなののぜんじ ゆきなが)なる
人物が平家物語の作者であり、生仏(しょうぶつ)という盲目の僧に教えて
語り手にしたとする記述がある。「後鳥羽院の御時、信濃前司行長稽古の
譽ありけるが(中略)この行長入道平家物語を作りて、生佛といひける
盲目に教へて語らせけり。」(徒然草226段)
その他にも、生仏が東国出身であったので、武士のことや戦の話は
生仏自身が直接武士に尋ねて記録したことや、更には生仏と後世の
琵琶法師との関連まで述べているなど、その記述は実に詳細である。
この信濃前司行長なる人物は、九条兼実に仕えていた家司で中山
(藤原氏)中納言顕時の孫である下野守藤原行長ではないかと
推定されている。また、『尊卑分脈』や『醍醐雑抄』『平家物語補闕剣巻』
では、やはり顕時の孫にあたる葉室時長(はむろときなが、藤原氏)が
作者であるとされている。なお、藤原行長とする説では「信濃前司は
下野前司の誤り」としているが、徒然草では同人を「信濃入道」とも
記している(信濃前司行長=信濃入道=行長入道)。
そのため信濃に縁のある人物として、親鸞の高弟で法然門下の西仏と
いう僧とする説がある。この西仏は、大谷本願寺や康楽寺(長野県篠ノ井
塩崎)の縁起によると、信濃国の名族滋野氏の流れを汲む海野小太郎
幸親の息子で幸長(または通広)とされており、大夫坊覚明の名で
木曾義仲の軍師として、この平家物語にも登場する人物である。
ただし、海野幸長・覚明・西仏を同一人物とする説は伝承のみで、
史料的な裏付けはない。ただ、長野市篠ノ井塩崎の康楽寺の西に
長谷寺があり、その数百m南に海野行長・覚明・西仏の墓がある。
平家物語を海野幸長・覚明・西仏が書いたとすれば、源平盛衰記も
同じ人が書いたとしても良いのではないかと思うのです。
この質問は何度かしているのですが、研究者の方お教え下さい。
ではまた、広報担当サマンサでした。


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