信濃毎日新聞によると、太平洋戦争末期の昭和20年に共和小学校、
川中島小学校に駐留した陸軍部隊は、米国との本土決戦に備えて
千葉県で編成された後、大本営陸軍部を構成する参謀総長の
指揮下に入っていたことが分かったそうです。陸軍中枢の直轄
部隊で、軍事史の専門家は、松代大本営地下壕の防衛など、急を
要する重要任務を帯びていた可能性がある、と指摘している。
部隊は昭和20年7〜9月に川中島小学校と共和小学校に駐留し、
長野市誌などで捷36395部隊、水戸の工兵隊と伝わる。
松代大本営地下壕を調べている元高校教員土屋光男さんが興味を
持ち、令和元年5月、防衛省防衛研究所戦史研究センターに照会し、
同センターが記録を調べたところ、この部隊が昭和20年6月に編成
された、独立工兵第94大隊と同一部隊と判明した。大隊は米軍の
本土上陸を阻止するため千葉県の九十九里浜方面に配備された、
第52軍内に編成され、870人態勢で、7月から参謀総長の指揮下に
入ったことが分かったそうです。土屋さんは第52軍が房総半島に
展開している時に何故、信州に同大隊が駐屯したか知りたい、と
住民に聞き取りを始め、ある住民は、家に寝泊まりしていた大隊
幹部が戦後間もなく自分の父親に、長野市篠ノ井共和、中尾山に
高射砲の土台を造りに行った、と漏らしたのを聞いたと証言。
この住民は中尾山で痕跡も見たという。長野市安茂里の村長は
日記に、部隊が複数の洞穴を構築する準備をしている、と記した。
土屋さんと地元郷土史家の塚田武司さん、岡村元一さんは敗戦
直後に入った、という平瀬忠義さんの案内で、洞穴があったと
みられる場所を確認した。軍事史に詳しい山田朗・明治大教授は
参謀総長の直轄部隊であれば、資材を優先的に振り分けられ、
軍の枠を超えて工事ができたと指摘、高射砲土台の構築は、
近くにあった長野飛行場や松代大本営地下壕を守るためだった
可能性もある、と指摘している。村の歴史なので、新聞を
参考にしました。ではまた、広報担当サマンサでした。
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共和小学校に駐留した部隊は
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