おいしい料理の条件というのにも、いろいろあると思いますが、自分で作っただけでおいしいということがあります。
その手間が、気持ちを変え、もちろん、一番自分を知り抜いた本人が好みの味付けをするのですから、当然といえば当然です。まあ、他人から見たら、その料理がおいしいかどうかは疑問で、もし、栄養バランスや変化に乏しいのは、料理人としては、まだまだということなのかもしれません。
一ヶ月半ほどでしょうか。包丁で一つ一つ、皮を剥いて、干しておいた渋柿が干し柿として完成しました。この期間、比較的雨も多く、暖かめだったので、唯一、青カビで失敗するかもしれないと危ぶんでもいたのですが、そこは、自然の力。案外うまくできあがりました。
手間は最初だけでしたが、しばらく時間をかけて作ったから、これが、かわいらしく見えるのは、仕方がありません。おいしさと作るまでにかかった時間がおいしさにプラスされるということです。
この干し柿のおいしさは、ケーキやお菓子でまねできない奥深さがあります。これだけ、あれば、甘い物は十分なような気もしてしまいますが、すぐ飽きてしまうのが人間。贅沢な物で、目新しいスイーツを追い求めてしまうのは仕方がないのでしょうか。
本当であれば、その野菜一つ、料理一つ、数々の人の手によって、料理はできあがります。その思い入れをくみ取れば、それだけで、同じご飯もおいしくなるとも思いますが、逆にコンビニや総菜ばかりの食卓も増えていますが、しっかりとした味付けの割に、味気ないものになっているのかもしれません。景気も気持ちも、立て直すには、食も大事だと思います。
実際、レストランや定食屋で、ガラス張りにした厨房をみて、作る行程を見て貰うことも、味の一環なんでしょうね。おいしそうに調理するというのも、また、大変なことなんですけどもね。





