登記所にある公図。基本は 明治23年のままである。昭和30年ごろに行われた分筆等の住所は記載されている。赤い部分は、昭和30年以前にあった道路と水路に、一致していると思われる土地。
昭和34年頃の宇土沢川の付け替え工事により、道筋が変わる。それ以降、公図の境界と、現状の道路の形状は一致していない。
長野市は、古い文書は廃棄しており、資料がほとんどないと説明。付け替え工事の記録は見つかっていない。合わせて、土地が返還された記録がない。道路ではないにもかかわらず、公衆用道路の課税地目のままになっていたようである。
登記簿上は、道路の記載がなく、畑となっている。課税地目は、コンピューターの導入された昭和58年以前から、全面積が公衆用道路として扱われていたとのこと。この処置により、財産目録から除外されていたため、認知が遅れた。この事は、昭和54年に用地買収の説明が無かったことの証明でもある。
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