25日付けにて、回答頂きましてありがとうございました。この回答につきまして質問いたします。

 

長野市篠ノ井岡田字森沢1561-4番地につきまして、市道ではないとのことですが、資産税課では公衆用道路の扱いになっている様だと説明をうけました。これについて調査の上で回答願います。

 

また、市道認定の起点と終点の地番につきまして、大まかな場所とのことですが、深町側を計測してみたところ、道筋上の住所でもなく、また60mほど離れた場所になっています。2015年の市道認定の書類を見ても、誤差は10cm程度で行われている中で、これは間違いのようです。大まかな住所の表記によって、私どもは土地を奪われたのでしょうか。大変距離がありますので、私ども以外にも土地を奪われた人がいる可能性が高いと思います。調査をお願いします。

現状と立ち会い図

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市が私有地を無断で市道占有している話


・近くの水道ポンプの工事に際に、曾祖父名義の土地と「長野市篠ノ井岡田字森沢1557-3」が確認された。

・当該の土地は、現状が一部道路になっていた。調べると、昭和54年に道路ができたことが分かる。

・該当の土地を父、祖母は認知していなかった。それは、昭和54年に、道路以前から、税務地目が公衆用道路の扱いになっていたためと思われる。長野市の回答によると昭和58年以前から、土地全体が公衆用道路の扱いになっている。

・昭和54年には、父も当事者の1人だったが、道路になるという話を聞いたことがない。該当の土地を認知していないのに、許可するなどという話もない。

・建設省、長野県、砂防事務所、長野市と、道路管理者を巡って、たらい回しに合う。最終的には、長野市が管理者として、対応している。

・5年以上、情報の保存義務がないため、各部署、資料がないから、わからないという対応だけになる。

・市にくり返し、質問し、出てきた市道認定に関する書類に於いて、地番によると、該当の土地より手前までしか申請されておらず、該当の土地を通っていないはずであるが、図面上は通過している。請された道路を確認すると、始点で50m、終点で15mほど実際の場所とずれていることがわかった。

・その後の調査により、昭和30年以前は、道路であったが、昭和34年頃、水路の付け替え工事により、道ではなくなり、返還された状態にあったが、長野市にはそれを示す記録がない。境界立ち会いにより、土地の形状と道路の現状が一致していないことがわかった。もともと、地滑り地帯に隣接し、場所を特定するものが少ない。明治23年の台帳を元にした公図は、幅広い不整合地もあり、現状確認がとてもこんなんな場所であった。実際、数度にわたって、境界立ち会いをすることになった。

〈推論〉
該当の土地は、昭和30年頃まで道路と水路として使われ、所有者がその管理の責任を負っていた。建設省に周囲の土地の買収が行われた際にも、その理由から、土地の所有権を譲渡しなかった。
昭和34年に行われた宇土沢川付け替え工事に伴い、道路の道筋が変更。当該の土地は、道路ではなくなり、個人に返還されたはずであるが、連絡不備により、道路として扱われたままとなる。現状は山林で、登記上は畑となっている。
昭和54年、道路が新しくつくられ、古い道路の情報に合わせて、道路を接続する。当該の土地は、申請された住所の先にある土地であるにもかかわらず、道路が造られた。通る予定のない土地の買収や説明は行われるはずもない。周辺の土地は、災害を契機に建設省・長野県・長野市の所有になっていて、他に意見をいうところがなかった様である。

長野市議会に昭和54年に提出された道路認定の書類
茶臼山線、長野市篠ノ井岡田字深町2076-1番地先から長野市篠ノ井岡田字森沢1562-1番地まで
となっている。登記簿の公図を確認すると、それぞれの地番は、地図に記された場所と15m-50mもずれている。
 

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登記所にある公図。基本は 明治23年のままである。昭和30年ごろに行われた分筆等の住所は記載されている。赤い部分は、昭和30年以前にあった道路と水路に、一致していると思われる土地。

昭和34年頃の宇土沢川の付け替え工事により、道筋が変わる。それ以降、公図の境界と、現状の道路の形状は一致していない。

長野市は、古い文書は廃棄しており、資料がほとんどないと説明。付け替え工事の記録は見つかっていない。合わせて、土地が返還された記録がない。道路ではないにもかかわらず、公衆用道路の課税地目のままになっていたようである。

登記簿上は、道路の記載がなく、畑となっている。課税地目は、コンピューターの導入された昭和58年以前から、全面積が公衆用道路として扱われていたとのこと。この処置により、財産目録から除外されていたため、認知が遅れた。この事は、昭和54年に用地買収の説明が無かったことの証明でもある。

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昭和34年ごろ、宇土沢川の付け替え工事により、道の形状がかわりました。 昭和54年に新たな道路ができ、市道認定される。

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昭和40年の航空写真

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昭和51年の航空写真

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認定された道路の住所と、実際の場所は、大きくずれている。この道路に置いては、50m近くずれている。昭和54年と、古くはあるが、これは誤差の範囲では済まされない。

また、十分な立ち会いがなされていないため、基本的な図面は、明治23年となっている。

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