-- そろそろ天地人:直江兼続の史料をさがしてみよう。 --
こまったときはウィキペディア。まずは直江兼続の生涯をまとめると以下の通りです。
直江 兼続(なおえ かねつぐ)ウィキペディア抜粋戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。上杉氏の家老。
謙信時代
永禄 3年(1560年)樋口兼豊の長男として生まれる。
永禄 7年(1564年)謙信の養子となった上杉景勝に従って春日山城に入る。豊臣政権時代
天正11年(1583年)山城守を称する。
天正12年(1584年)秀治の死後、兼続は単独執政を行う。
天正15年(1587年)新発田重家討伐で武功を挙げる。
天正16年(1588年)豊臣の氏を授けられる。
天正17年(1589年)佐渡征伐。
天正18年(1590年)関東諸城を攻略。
文禄元年(1592年)朝鮮征伐。
天正23年(1595年)佐渡金山の支配の代巻となる。
慶長 3年(1598年)兼続には出羽米沢に6万石の所領を与えられる。関ヶ原
石田三成と懇意にあった兼続は、家康との対立を決意する。
関ヶ原の戦い
最上義光の領地である山形に総大将として
志村光安が守る長谷堂城の戦い
里見民部が守る上山城の戦い
いろいろキーワードがでてきたようです。
五回目の川中島の合戦が1564年とのことなので、上杉家が合戦のさなか六日町で生まれたことになります。そうなると、川中島の合戦関係の史料は役に立たないかもしれません。
その分、豊臣政権下での動きが多いようなので、太閤記、太閤真顕記、関ヶ原大全、春日山日記あたりから徐々に探してみたいと思います。
今日の資料「甲越信戦録」
武田信玄、川中島の合戦ですと、甲陽軍鑑を紹介しがちなので、今回は「甲越信戦録」をご紹介します。全8巻です。長野県立図書館にも蔵書されているとかいないとか・・・。当書籍は、地名の表記などが地元に人間にしか書けない記述があるらしく、長野盆地周辺の歴史学者は好んで研究しているそうです。山本勘助の記述も多く、また蔵書される施設も少ないことから、昨年は書籍調査の依頼が多い書籍の一つでした。おいおい直江兼続関連の和本も探してみます。なにか手がかりがありましたら、お知らせ頂ければ幸いです。