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-- 田中光顕は吉田東洋を暗殺したのか --

 

 

yukufumu-img203x300-1265651539umv38i59611.jpgNHKの大河ドラマも、坂本竜馬を題材に盛り上がって参りました。

当図書館の新商品の復刻絵ハガキでは、幕末を題材にしたものがいくつかあります。一覧のPDFをアップしておりますので、気になりましたら ポストカード一覧1004.pdfを参照下さい。また、注文はお問い合わせより、お願いします。

その中で、一人、気になっている幕末志士がいます。それが、田中光顕です。

この方の名前をご存じでしょうか。明治の写真集で重要な人物として扱われているのに、私も名前を知りませんでした。

この人がどんな人だったのかといいますと、桂浜にある坂本竜馬の銅像を造った人でもあります。

どうでしょうか。少し、気になりましたか?

この人が、どうして、そのようなことをするにいたったかを順に追っていくと、

まず、高知の土佐藩の生まれです。そして、武市半平太の土佐勤王党に参加した若い志士でした。やがて、吉田東洋暗殺が起こります。叔父の那須信吾は、暗殺事件の主犯の一人だそうです。そして、当の田中光顕も、暗殺に関与したいた話していたようです。

その後、土佐藩を脱藩、高杉晋作の弟子になり長州藩を頼ります。おそらく、同郷で、土佐勤王党にも参加した経緯から、坂本竜馬とも知り合いだったのでしょう。結果、薩長同盟の際に貢献しています。

次に、中岡慎太郎の陸援隊の幹部として参加した。

その後、坂本竜馬と中岡慎太郎がともに暗殺された際、いち早く駆けつけたのも、この人で、瀕死の中岡に暗殺の経緯を聞いたとされています。竜馬の最後の姿を伝えた人物なのです。ドラマでも多く扱われるシーンのディテールは、この人によって伝えられたことを元にしている訳です。

鳥羽伏見の戦いや戊辰戦争でも活躍。

維新後は、岩倉使節団の理事官として参加し、陸軍少将・元老院の議員、警視総監、学習院の院長、宮内大臣を歴任した。

政界を引退後、冷遇されていた維新志士の顕彰に力を注いだのです。武市半平太の遺族を庇護し、竜馬の銅像を建造するなど、感じていた恩義が、歴史の表舞台に現れれず埋もれていった幕末の多くの人たちをよみがえらせたのかもしれません。今の幕末ブームの立役者こそ、田中光顕なのではと、感じました。

歴史というのは、生き残った人によって書き続けられます。数奇な運命で、激動の時代を生き延びたこの人物が気になったのです。

写真の右がわの人が田中光顕です。

もっと、アップで見たい場合は、絵ハガキをおもとめください。

 

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