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-- 古文書を用いた古い地名の探し方。長野市篠ノ井について --

地名の生い立ちは様々ですが、必ず意味がある物です。
地名は勝手に名付けられた訳ではありません。

身近だからこそ、改めて自分の周辺の地名を調べてみるのはいかがでしょうか。

もし、身近な地名に興味がでてきたら、蔵書の中から必要な文献を提供することもできますので、お問い合わせください。

地名には
・古代の呼び名
・平安時代の律令制によって定められた二文字以上の地名
・お寺や神社にゆかりの名称
・歴史的人物による名称
・地形の特徴からくる名称
などがあげられます。

私どもの所在地である長野市篠ノ井の古い地名を調査するに当たって、その手法や結果について、書き残しておきたいと思います。

地名に関して、古く最も大きな出来事が、西暦713年の律令制によって、1文字の地名を廃止し、2文字以上にするという法令がありました。

総合的な地名を記載した文献は少ないですが、
・和名類聚抄-承平年間 (931年 - 938年) に作られた辞典の様な文献で、時間が経っておりますが、律令制によって定められた地名の説明がなされています。

・和漢三才図会-正徳2年(1712年)頃出版された日本の類書(百科事典)。各地地名、寺社仏閣、名物などが記載されております。

この時代の異なる二つの資料から、目的の地名を捜します。

比較することで、歴史的な人物に関わる地名なのか、出来事があったのかを判断できます。

さらに、歴史資料を加えます。

実際に、周辺の長野の地名を調べてみました。

西暦713年の平安時代の律令制によって定められたと思われる地名は和名類聚抄を参考にします。およそ、1000年前の地名です。長野県は当時、信濃国です。

文献をみると、郡として伊那・諏訪・安曇・筑摩・更級・佐久の今も残る地名が見られます。
そして、長野市南部の地名として氷飽・麻績・戸部は今も残る地名です。(漢字が異なる場合があります)

次に、江戸時代の地名を示している和漢三才図会では、郡は変わりなく、小諸・上田・松代・須坂・飯山・松本・諏訪・高遠・飯田など、今、市として使われている地名が400年ほど前の江戸時代前期に呼ばれていることが解ります。
ちなみに、和漢三才図会には、代表する神社やお寺の名前も多く記載されています。
これらの施設は、昔からそこにあり、場所の特定にする際に役立ちます。

ここに軍記物からの情報を加えます。軍記物は、後世に書かれた物が多く、物語的で信憑性が疑われる部分もありますが、根拠が無いわけでもなく、土地柄が細かく描写されています。

鎌倉幕府が成立したころの時代背景は、源平盛衰記や東鑑の中に見られます。長野市の近隣では、木曽義仲の京都上洛の先駆けの戦いとなった横田河原の戦いがあり、破れた平家側の戸部(富部)や四宮、杵渕の武将があり、布施氏の名前は今も残ります。(中には地名から名字がついている場合もありますが)

木曽義仲側の今井兼平の所領となったちには今井神社があり、駅名も今井として残っています。他にも、関連して貝沢・落合なども縁が見られます。

文中には石川や篠ノ井の地名が使われ900年前には使われていることが解ります。

その他、川中島や大島など地形からついた地名を合わせることで、地名から見える歴史を感じることができます。

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